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    <title>一宇ブログ</title>
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    <description>建築、再生、環境問題から身近な出来事まで日頃ふと思ったことをつらつらと書き留めた気まぐれ日記</description>
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    <title>九州の伝承遺産シンポジウム</title>
    <description>
去る8月21日に開催された九州の伝承遺産シンポジウムは残念ながら参加者が少なかったのですが、基調講演、各地の伝承遺産報告パネルディスカッション共に中身の濃い討議がなされました。長崎大学後藤恵之輔教授の環境調査報告では普通見ることのできない軍艦島の映像や環...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="images/densho01.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="" class="pict" /><img src="images/densho02.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="シンポジウム会場" class="pict" /><br />
去る8月21日に開催された九州の伝承遺産シンポジウムは残念ながら参加者が少なかったのですが、基調講演、各地の伝承遺産報告パネルディスカッション共に中身の濃い討議がなされました。長崎大学後藤恵之輔教授の環境調査報告では普通見ることのできない軍艦島の映像や環境分析を示していました。基調講演をされた東京電機大学の阿久井喜孝名誉教授の「過酷な条件の中で30年間維持メンテナンスをしなかった時、建築がどのように変遷をされて行くかまさに実証的なサンプルである」との指摘は、目から鱗が落ちるようでした。また、ル・コルビジェが1920年代初頭に提唱した近代建築の五原則（ピロティ、自由な平面、屋上庭園、自由なファサード、ドミノシステム）の全てが軍艦島には揃っていたと言われた時は、まさにそうだと思いました。軍艦島では1918年までに鉄筋コンクリート7階建が２棟、9階建４棟が施工されています。文化庁出身で工学院大学後藤治教授は保存や再生の仕組みや考え方、また世界的な情報を示されて大変参考になるものでした。各地の伝承遺産報告も大変興味深いものがありました。長谷川雅康鹿児島大教授による鹿児島の尚古集成館、古庄信一郎町会議員による志免炭鉱立坑櫓、幸田亮一熊本学園大学教授による熊本通潤橋、野崎祐一高島活性協議会委員による近代炭鉱発祥の地長崎県高島、荒尾炭鉱のまちファンクラブ理事長中野浩志氏による大牟田の三池炭鉱の紹介がありました。<br />
続くパネルディスカッションは、後藤恵之輔教授のコーディネートで行われました。軍艦島を世界遺産にする会の坂本道徳理事長と長崎シーボルト大学三藤利雄教授、中村享一が参加しました。坂本氏の愛情あふれる軍艦島への想いや三藤教授の経済的な視点での指摘、後藤治教授の役所側の思考組立てなどなど２時間近くにわたって盛り上がった討議がなされました。私は建築にも使命と命があり、そのことを大事にしようと伝えました。癌患者への延命治療のような保存よりは活き活きと生きている時間こそが大切で、残された時間に建築が伝えたいことを見守りながら、発信されている情報を聞く姿勢こそ今の時代が必要であると伝えました。会場では十分に伝えることができなかったこともあります。古く老いぼれたように見えたり、死んだように見える建築に新しい命を吹き込むことが可能とも考えています。そのことこそが、建築が遺産になれる根拠ではないでしょうか。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>世界遺産</dc:subject>
    <dc:date>2005-08-31T17:34:05+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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    <title>宗像大社と鎮国寺</title>
    <description>

福岡県宗像市には、釣川を挟んで宗像大社と鎮国寺がある。共に長い歴史を持った由緒ある寺社仏閣で、それぞれ複数の群をなしている。
宗像大社は海の祭神で、出雲大社と深い関係を持っている。鎮国寺は弘法大師（空海）が中国で修行した後、九州に一年程滞在した大同元年(8...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="images/munakatataisha.jpg" width="300" height="200" alt="宗像大社の二宮と三宮" class="pict" /><img src="images/chinkokuji.jpg" width="200" height="200" alt="鎮国寺" class="pict" /><br />
<br />
福岡県宗像市には、釣川を挟んで宗像大社と鎮国寺がある。共に長い歴史を持った由緒ある寺社仏閣で、それぞれ複数の群をなしている。<br />
宗像大社は海の祭神で、出雲大社と深い関係を持っている。鎮国寺は弘法大師（空海）が中国で修行した後、九州に一年程滞在した大同元年(806年）に開祖した真言宗最古のお寺である。宗像大社は、本殿の他に、二宮、三宮、高宮で構成されている。二宮、三宮は、沖津宮、中津宮の御分霊を祭り、伊勢神宮の第６０回御遷宮古材によって再建された唯一神明造の社殿だそうだ。社は神を祭っている建築だけで良いらしいのだが、神前祭事のために手前部分にキャノピーが増設されている。正面から見ると、美しさが半減されているように思う。現代的に考えてみると、そのキャノピー部分は、正面のファサードが見えやすく、お参りしやすいように透明感のあるガラスで建築されている方が良いように感じる。<br />
<br />
宗像大社　<a href="http://www.munakata-taisha.or.jp/" target="_blank">http://www.munakata-taisha.or.jp/</a>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>世界遺産</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-30T10:57:31+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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    <title>軍艦島上陸計画</title>
    <description>

「軍艦島を世界遺産にする会」の総会に新任の理事として出席した。長崎で育ったせいか、建築家という職業のせいか、軍艦島には強くひきつけられる。対岸の野母崎半島から見るとまさに軍艦の形をしていて面白いのだが、上陸するとその環境の凄さに圧倒される。
軍艦島は大正...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="images/bridge2.gif" width="200" height="241" alt="桟橋案２" class="pict" /><img src="images/bridge1.gif" width="200" height="64" alt="桟橋案1" class="pict" /><br />
<br />
「軍艦島を世界遺産にする会」の総会に新任の理事として出席した。長崎で育ったせいか、建築家という職業のせいか、軍艦島には強くひきつけられる。対岸の野母崎半島から見るとまさに軍艦の形をしていて面白いのだが、上陸するとその環境の凄さに圧倒される。<br />
軍艦島は大正時代から高層高密な住居群を持ち、先端的な都市の経験者として学ぶべきものが多く存在する。まさに次世代へ引き継ぐ必要のあるヘリテージである。<br />
島内の環境を体験するには上陸するための設備が必要となるが、桟橋が壊れてしまっているので現在は上陸できない。台風の時には護岸が壊れてしまう程、自然環境が厳しいところにあるので、固定の桟橋では困難だと考えた。図は、可動式の桟橋の提案である。船が着くと空港のボーディングブリッジと同じように伸縮し、リフトによって乗降できる仕組みだ。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>世界遺産</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-28T00:47:25+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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    <link>http://blog.naka-ar.com/?eid=110779</link>
    <title>「地方の時代」の建築を問う　?</title>
    <description>

※この記事は、1993年に執筆したものです。

第4章　手法について…

我々人類は過去において大きな変革を経験してきました、前回は近代への変革でありました。現在はそれに勝るとも劣らない変革の時期であると考えられます。その変革期においてある理論（散逸構造理論）を利...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/bunretsu.jpg" target="_blank"><img src="images/bunretsu.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="散逸構造のイメージに近い生物" class="pict" /></a><br />
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※この記事は、1993年に執筆したものです。<br />
<br />
第4章　手法について…<br />
<br />
我々人類は過去において大きな変革を経験してきました、前回は近代への変革でありました。現在はそれに勝るとも劣らない変革の時期であると考えられます。その変革期においてある理論（散逸構造理論）を利用し、手法を考察してみたいと思います。イリア・プリゴジーヌというベルギーの化学者がいます。彼は化学・生物科学・社会科学の分野で適応できることを証明しノーベル賞を受賞しています。その論理を一部抜粋します。「散逸構造」というのは、絶えず外界からエネルギー（非エントロピー＝秩序）を取り入れ、このエネルギーを使用することによって「系」の秩序を保ち、その結果生じたエントロピー（無秩序）を系の外に放出（散逸）する構造（組織）です。このような例のひとつとして、我々の身体があります。身体は外界から食物（エネルギー＝秩序＝非エントロピー）を取り入れ、エネルギー代謝をすることによって秩序を形成しています。その結果、不要となった排泄物や体熱を通してエントロピー（無秩序）を体外に放出しています。この系こそ「散逸構造」にほかなりません。このような「散逸構造」は、物質、生命現象、さらに生命をもつ人間によって構成される企業組織や社会現象など、いろいろの分野にわたって見られます。これらの構造においては、外界からエネルギー（企業の場合は組織を構成する幾多の人間のエネルギー）を取り入れ、系の秩序を形成しながら、不要となったエントロピーを排出しています。プリゴジーヌが「散逸構造理論」を発想するきっかけになったのは、次のような実験例によります。皿に特殊な科学液体を入れ、下から加熱します。時間が経つにつれ液体のゆらぎが大きくなっていきますが、加熱がある限界（分岐点）を超えると、突然「ベナール泡」と呼ばれる正六角形の細胞状のパターンが無数に発生します。この六角形の無数のパターンは、実に美しい秩序を形成します。この実験で注目すべき点は、化学液体を加熱し、ある限度（分岐点）を超えると、突然、液体に無数の六角形のパターンからなる新しい秩序がつくられ、不要となったエネルギーが散逸していくということです。ということは、生命を持つと考えられていない科学物質でも、外からエネルギーを加え、その加熱が一定の分岐点を超えると、生命を持っているものと同じように、突然新しい秩序を作りあげるということです。人間の行動や、企業組織というような生命活動が働く「散逸構造」の場合には、危機に直面してエネルギーの取り入れ（危機突破のための努力）が行われ、それが一定の分岐点を超えると、過去に作られたパターンが動員されて危機切り抜けにふさわしい秩序が作り上げられるようになります。まさに、「散逸構造理論」で言われるとおりのことが起こるのであります。　　　　　　　　<br />
それは、化学者ルパード・シェルドレイクの「形態形成場」と共通することの様に思えます。そこで現代の中においてのその取り入れるべき『エネルギー』は何かと考えてみると、『情報機械である』と考えることは適当と思えます。それは情報の多元化・複層化・スピード化を可能にしただけでなく、地域は地域の高いポテンシャルの部分を世界に対してビジネスをすることを可能にしますし、その情報を世界に通信することを可能にします。国際化への大きな障害となっていた言語の問題にしても、情報機械により解決してくるでしょう。それによって、新しい秩序が当然必要になってきます。それは、交通手段（トランスポーテーション）の問題とエネルギーの問題であろうと思います。<br />
近代は我々に幾つかの功績と失敗を残しました。自然科学と言う『書物』と力を持った人間の『自然破壊』です。経済を自立させる為には交通及びエネルギーの為の建築、及び周辺環境を整備する必要が出てきます。スピードを落とし、又、可能な限り施設は再利用する必要が出てきます。又、新しいクリーンエネルギー源の技術開発は急がねばなりません。交通手段に関しても、省エネルギーで大量輸送が可能な海上の有効利用と「ポスト地方」の人々の移動が可能な空の整備は連動して行う必要があります。特に海上の利用は交通のみならず、エネルギー源としての複層の利用が可能です。　　　新しい「場」・新しい「ポスト地方」をつくる為に並べ直す必要のある秩序とふるい落とす秩序を見出す必要がありますが、それぞれの「地方」にある資産・資源の把握、他の「地方」との差異を世界レベルで分析する必要があります。我々、建築家も果たさなければならない役割が、今よりももっと大きくなると考えています。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>建築</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-25T23:11:16+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.naka-ar.com/?eid=107795">
    <link>http://blog.naka-ar.com/?eid=107795</link>
    <title>「地方の時代」の建築を問う　?</title>
    <description>

※この記事は、1993年に執筆したものです。

第3章　「ポスト地方」と「世界」

　「地方」にとっても「中央」にとっても経済の問題は重要です。流通の要に中央（都市）は存在しますが、その流通する容量が大きい程経済は大きくなります。中央（都市）にとって流通はスムーズ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/map.gif" target="_blank"><img src="images/map.gif.200px.png" width="200" height="200" alt="福岡と世界" class="pict" /></a><br />
<br />
※この記事は、1993年に執筆したものです。<br />
<br />
第3章　「ポスト地方」と「世界」<br />
<br />
　「地方」にとっても「中央」にとっても経済の問題は重要です。流通の要に中央（都市）は存在しますが、その流通する容量が大きい程経済は大きくなります。中央（都市）にとって流通はスムーズであるのか、流通の為の都市機能は充分であるのか、これは大事なことです。最近の中央都市にはペーパーの流通のみが存在する様に見えます。あたかもバブルの様にという見方は行き過ぎでしょうか。情報が国内において中央に集中している必然性があった時には、都市の経済は豊かであったでしょうし、地代が上昇していっても経済は成立しました。ただし、その背景には円が安いということと成長し続けてきた経済社会がありました。急激な円高と世界経済の変化に対し肥大化した中央（都市）進むべき方向を見出せないでいます。中央（都市）にとって、経済的生産性の低い中央の高額な土地は大荷物になっています。ペーパーのみの流通は他にも複雑な社会機構を生みだしてしまいました。円高になった日本の経済市場は諸外国にとっては是非ともくいこみたい市場です。我々が今まで考えていた日本国内の中央と地方という構図は崩壊し始めています。中央は大きな「地方」へと変化していき、「地方」も世界の中で他都市や地方と並べて考えることのできる「地方」に変化しなければならなくなって来ています。それはまさしく「ポスト地方」の概念です。<br />
　経済だけでなく技術も大きな変革期を向かえています。情報機械は言語及び経済をも変化させ始めています。世界のなかで並べる都市を見出さねばなりません。「ポスト地方」のスケールを見出さねばならなりません。そしてその地方において経済を自立させる為には流通のあり方をその地方において構築しなければならないし、世界とネットワークできる交通アクセスが必要になります。<br />
　九州だけを考えたとしても日本のGNPの約10％があります。それは世界のかなり上位のランクに位置します。又、都市間の交流にしても、中国大陸・朝鮮半島は言うに及ばず東南アジア・ヨーロッパの多くの都市・インド・オーストラリアと歴史的には深いつながりがあります。世界のいろいろな「都市」及び「地方」と並べる「ポスト地方」へとシフトしていくのが望ましいと考えることができます。そのためには情報機械とか流通機能をどう地方都市に取り入れた計画をするか、都市と建築共に我々は関わっていく必要性があります。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>建築</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-24T19:15:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.naka-ar.com/?eid=105576">
    <link>http://blog.naka-ar.com/?eid=105576</link>
    <title>「地方の時代」の建築を問う　?</title>
    <description>

※この記事は、1993年に執筆したものです。

第2章　「地方」とは....

　「地方」とはいったいどういう意味と位置づけなのかと疑問を感じます。私は最初に「地方」について「地方」をあまり感じたことがないと書きましたが、それは「地方」というこれまでの文字の意味を「中...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/chiho.gif" target="_blank"><img src="images/chiho.gif.200px.png" width="200" height="200" alt="地方" class="pict" /></a><br />
<br />
※この記事は、1993年に執筆したものです。<br />
<br />
第2章　「地方」とは....<br />
<br />
　「地方」とはいったいどういう意味と位置づけなのかと疑問を感じます。私は最初に「地方」について「地方」をあまり感じたことがないと書きましたが、それは「地方」というこれまでの文字の意味を「中央の反対の部分にあって田舎とか外れ」とかの意味でのみ語られてきたからではないでしょうか。漢和辞典で文字一つ一つの意味を調べてみると、『地』はのびのびと広がる大地を意味し、又『方』は・ならべる・くらべる・…の四角なものの隅・地・邦国・異方等の意味があと書かれています。<br />
　昔の人は天を円く、地を四角と考えていたので「地方」とは地の外れの隅っこと理解することができます。東方見聞録の時代ならまだしも現代ではそれはあてはまらない様な気 がします。距離であるとか地形だけでこの「地方」が語られて良いのでしょうか。もちろん文化的な区域分けはあるでしょうが、今回その問題の捕え方とは違った捕え方をしてみようと思います。現象的には距離とか地形であったとしても、「地方」という文字自体が意味するものは他に無いのでしょうか。「方」は象形文字では、『　　』二つの舟をならべてその舳先をつなぎあわせた形にかたどります。 とすると、「地方」という文字は『地と地をならべる』というように解釈することも可能です。「地方」と「中央」という関係でなく、別の意味も合わせて存在することになります。ここではそれを「ポスト地方」と呼びます。<br />
　「地方」というのはどういったスケール感でとらえれば良いのでしょうか。「地方」（地の隅）というスケール感は時代と共に拡大しながら変化してきたと考えられます。<br />
　西洋の天動説の時代において「地」は平らであると考えられていました。「地」が平らでそれを天蓋が覆っていた。地動説により地が平らでないことが説かれ、さまざまな事実が実証され15・16世紀頃に確認されました。東洋においても地は四角く平らなものと認識されていました。概念としての「地方」（地の隅）は存在したのです。近代以降世界の地理上の認識が正確に理解され気候・風土・文化が伝えられることによって、世界の情報がかなり明確に理解される様になりました。地球は丸くて概念としての「地方」（地の隅）が存在しなくなってきたと考えることができます。<br />
　「地方」のスケール感を論ずるのにもう一つ重要な問題があります、交通手段の問題です。船→車→機関車→自動車→飛行機へと変化してきました。現在では日本からニューヨークでも12時間程度で行くことが可能となりました。動力機械の発達によりスケール感は変化して世界の交通ネットワークが出来上がりつつあります。そして時間と距離を複合させて考えなければならなくなりました。<br />
　スケール感だけではとらえられない「地方」が近代より始まり、それが変化してきた様に考えられます。それは情報においての「地方」（地の隅）言い替えれば情報過疎地であります。情報技術の発達から電報・電話・ラジオ・テレビ・コンピューター等近代以降、情報伝達能力が及ぶ範囲は急速に進化しました。コンピューター・光ファイバー等・無線通信等の新しい技術の開発・実用化に伴い今まで一方通行の情報であったものが、相互で利用可能な状況へと急速に変化してきました。そして、情報の「過疎地方」であった「地方」が新しい情報機械によりその状況を変える事ができるようになりました。逆にその知識や情報機械がなければ中央においても情報の「過疎地方」が生まれる事になりました。いわゆる「地方」に住まいをして、世界の情報とコンタクトし行動を起こすことは、容易な時代へと変化しているのです。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>建築</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-22T10:20:52+09:00</dc:date>
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    <link>http://blog.naka-ar.com/?eid=104498</link>
    <title>「地方の時代」の建築を問う　?</title>
    <description>

※この記事は、1993年に執筆したものです。

第一章　序

私は、福岡を拠点地とし九州・山口で建築活動を行っています。生まれは長崎で1951年〜1974年までは長崎で生活をし、1974年〜1979年の間は東京で建築の仕事に従事していました。その後は福岡で建築活動を行っていますが...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/kagoshima.jpg" target="_blank"><img src="images/kagoshima.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="竜ヶ水被災現場" class="pict" /></a><br />
<br />
※この記事は、1993年に執筆したものです。<br />
<br />
第一章　序<br />
<br />
私は、福岡を拠点地とし九州・山口で建築活動を行っています。生まれは長崎で1951年〜1974年までは長崎で生活をし、1974年〜1979年の間は東京で建築の仕事に従事していました。その後は福岡で建築活動を行っていますが、「地方」で活動を行っているという実感があまりありません。というのも中央（東京）から見る「地方」とはあたかも実体があるかのごとく語られ区別されていますが、せいぜいその「地方」の「ふるさと感」程度のものでしかないことの方が多いように思えます。中央（東京）から区別されているのは、九州地方・四国地方・中国地方といったように大都市圏で区切られた、又は、地続きになっていない海峡で分けられた地域をひとまとめにとらえている程度のもののように思えます。「地方」又は地域間の差異が感じられる様々な情報は不充分に感じます。それに比べて中央の情報は「地方」にいてもよくわかります。<br />
　1993年あまり規模の大きくない台風が東京に上陸をしました。それによって都市機能が大変なダメージを受けました。その前後のニュースや報道はものすごい量で「地方」にも流れました。天気予報一つとっても、何回も何回も繰り返しいろんなチャンネルで放送されていました。九州ではあれくらいの規模の台風は毎年何回か上陸するが近くに来るまで、又、具体的な人身被害が出るまで天気予報以外の電波に乗ることはほとんどありません。<br />
　<br />
　1993年8月6日、私は出張で鹿児島に出かけました。出かける時から少し気になる出張ではありましたが…というのも鹿児島は今年(1993年)大雨続きで土砂崩れが頻繁におきていましたし、当日も天気予報は雨だったのです。その日は役所の工事完了時の検査で出張を延期することもできずに出かけました。鹿児島空港までは小雨程度で良かったのですが高速バスで鹿児島市内の現場につくころには雨も強くなり高速道路も直後に閉鎖されました。ともあれ仕事を終らせ帰路についたのですが飛行機は飛んでいないだろうとJR鹿児島駅まで行きましたが、すでに止まっていました。飛行機はまだ飛んでいるという情報に急いで高速バスターミナルへ行きました。持っていた帰りの飛行機チケットの時間までは3時間あったので高速バスに飛び乗りました。高速バスは大雨の中をゆっくり走り始めましたがバスの運転手が「空港までは一般道を走りますし大雨で混雑しているので3時間位はかかると思います」とのアナウンスでした。成り行きにまかせバスからの景色を見続けていました。とはいっても大雨でした、今にも氾濫しそうな川・真っ黒な雲、のんびりしていた気分ではありませんでした。<br />
　発車から2時間後にバスは突然止まりました。バスの前には4・5台程度の車が止まっていてパーキングランプがついていました、大雨で先が良く見えなかったのですがバスの運転手が降りて前を見に行ったあと「前の道路が土砂でふさがれています。これより先にはいけません、本社と無線で連絡をとり反対方向のバスに乗り換えてもらえる様連絡してみますから」ということでした。<br />
<br />
　私達の乗ったバスは最も被害の大きかった竜ヶ水で止まったのでした。<br />
　<br />
　その状況は私には良く理解できました。私は九州の大きな災害の現場をよく見て廻っていました。長崎の大水害・台風19号・島原の火災流の現場などそれらは私達のような仕事と関わっている者達には学校の教育以上に多くのことを教えてくれるからです。思ったとおり鹿児島市全体がパニック状態になってきました。ラジオでは市民に車で移動しない様連呼するばかりでした。警察が水に浸かって無線が使えないとか、パトカーが出動できないとか…。バスの中のテレビは丁度その時、細川内閣（国会）の首班指名の特別番組が放送されていました。テレビでは大雨災害の様子などほとんど流れてきません。流れてくるのは通常に放送されている天気予報のみでした。また引き続き、時間100mmを超える雨が降るかもしれないという情報程度でした。我々は恐怖心がつのるばかりでした。<br />
　バスの運転手は「このままでは危険だからバスから降りて避難してくれ」と言いました。「災害地を見てきた経験から今避難するのは市内まで戻る間に鉄砲水で流される可能性が多いので危険だ、海からの救助を求めた方が良い」と私は発言しました。バスの他の乗客も私と運転手のやり取りを真剣に聞いていました。その直後にバスの後方部に鉄砲水が出て孤立状態になりました。運転手も理解をし海への避難通路を確保するのに奔走したりバス本社を通じて災害本部等に連絡をとるなどして我々は6時間後、無事バスの乗客及び周辺の乗用車等で同じ地区に閉じ込められていた人々と共に船で脱出することができました。<br />
　もう一つ我々がスムーズに避難できたのは理由があります。我々が閉じ込められていた区域の少し市内寄りの所に鹿児島県知事も土石流に道をふさがれ閉じ込められていました。知事の公用車の無線電話でことの状況が連絡されていて海上保安庁が避難活動を指揮していたことです。と もあれ無事上陸し命びろいをしました。<br />
　私は「地方」にいてあまり「地方」を感じたことはないのですが、その災害の時は、情報の「地方＝過疎地」にいるのだなとつくづく感じました。必要な時に大切な情報が伝わってきませんでした。私はその時、長崎の大水害の時に大きな被害をだした網場：矢上地区のことを思い出していました。電話線が不通の為に状況判断が遅れて救助が後手に廻った時のことを思い出していました。しかし、わずか10年たらずですが状況は変わっていました。高速バスに取り付けられている公衆電話・パーソナルの無線電話等は、有線の一般回線よりもスムーズに連絡がとれていました。 災害現場に閉じ込められている人々の中でかなりの人がそれを所有していました。<br />
　いつも大量に送り出されてくる一方通行のテレビジョン・ラジオ等のマスメディアの情報、又、広域にではあるが通信ラインをある程度限定されている有線電話回線ではなく、全国ネットワークでアクセスできる新しい情報機械、今回はまさに『海』と『最新情報機械』 に助けられた様な気がしました。　
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    <dc:subject>建築</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-22T10:03:25+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
    <dc:rights>一宇</dc:rights>
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    <title>福岡西方沖地震</title>
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福岡西方沖地震で2件先の家の石垣に被害が出て避難勧告を受けました。テレビのニュースにも映ったところです。その石垣の補強工事がやっと終わったようです。災害の時はとかくパニックに陥りやすいのですが、お隣の避難勧告解除の通知には問題がありました。まだ工事に着...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/underconstruction.jpg" target="_blank"><img src="images/underconstruction.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="工事中" class="pict" /></a><a href="images/finished.jpg" target="_blank"><img src="images/finished.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="完了" class="pict" /></a><br />
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福岡西方沖地震で2件先の家の石垣に被害が出て避難勧告を受けました。テレビのニュースにも映ったところです。その石垣の補強工事がやっと終わったようです。災害の時はとかくパニックに陥りやすいのですが、お隣の避難勧告解除の通知には問題がありました。まだ工事に着手して間がなく、まだまだっていう時に崖下の家に勧告解除の連絡が入っていました。連絡が入った日は福岡市の災害対策本部が閉じられた日でしたが、二次災害を防ぐためにも解除の連絡をする前に現場を確認して頂きたいですね。もちろんお隣の方にはまだ避難所にいて下さいとアドバイスをしておきましたが・・・・<br />
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医者と同じように建築家の主治医をもっておくといいですよ。（ちなみに私は93年夏に鹿児島で起きた土砂災害の竜ヶ水の現場で閉じ込められた経験を持っています。）<br />
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次号のブログは、その竜ヶ水での経験をもとにまとめた「地方の時代の建築を問う」を4回連続で掲載します。<br />
一宇
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    <dc:subject>建築</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-21T15:45:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
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    <title>お伊勢参り</title>
    <description>

はじめてのブログです、みなさんよろしく。
さて、先週の水、木曜日に伊勢神宮と、おかげ様横丁を訪ねました。記念すべき第1回目を飾るのは、伊勢の街のことです。とっても幸いなことに、前回伊勢に行ったときに親しくなった建築家の湯谷さんに隅々まで案内をしてもらいま...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/okagesamayokocho.jpg" target="_blank"><img src="images/okagesamayokocho.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="おかげさま横丁" class="pict" /></a><a href="images/isejingu.jpg" target="_blank"><img src="images/isejingu.jpg.200px.png" width="200" height="200" alt="伊勢神宮" class="pict" /></a><br />
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はじめてのブログです、みなさんよろしく。<br />
さて、先週の水、木曜日に伊勢神宮と、おかげ様横丁を訪ねました。記念すべき第1回目を飾るのは、伊勢の街のことです。とっても幸いなことに、前回伊勢に行ったときに親しくなった建築家の湯谷さんに隅々まで案内をしてもらいました。<br />
伊勢神宮は、遷宮を8年後に控えて様々な準備に入っているということでした。伊勢神宮は、20年ごとに建物を全て建て替えます。その建て替えを遷宮と言います。昔は全て新しい木材に替えていましたが、たくさんの量を必要とするので、今ではその材料が不足しているそうです。神宮の棟持柱は、遷宮後に鳥居の柱として再利用されているそうです。その後も更に、材料は再利用を続けられるそうです。循環型建築のお手本と言えます。<br />
赤福本店では、もちろん美味しい赤福をいただきました。横丁で、かき氷も食べました。本店の裏のところにある茶室も、とっても良さそうです。素敵なたたずまいをしている川沿いのうどん屋さんでは、夕食を食べれなくって残念でした。NPO法人が運営している五十鈴塾は、商家をイメージして建てられたもので、伝統的な建築としても良かったし、興味深いプログラムが用意されていておもしろそうでした。<br />
伊勢は、建築的にも見るべきものが盛りだくさんでした。<br />

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    <dc:subject>世界遺産</dc:subject>
    <dc:date>2005-06-01T10:40:36+09:00</dc:date>
    <dc:creator>一宇</dc:creator>
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